ARASHI Anniversary Tour 5×20 FILM "Record of Memories"

本題に入る前に、まずは人生初のドルビーシネマについて記録しておこうと思う。

「ドルビーシネマってつまり何?」「音質の差だけでこんなに価格が変わるものなのね…??」と思いながら好奇心だけでやってきたT・ジョイ横浜の最前列。(丸の内はどうしてもチケットが取れず、横浜も最後まで空いていた最前ドセンの2席にギリギリ滑り込んだ)そして2時間半後、席を立った瞬間の感想。「ドルビーシネマ、ひょっとしてアイドルの映像コンテンツにとって最強の装備なのでは…?」見事にドルビーしか勝たんモードに突入して帰宅の途についた。

 

映画館ド素人が思うドルビーシネマの”良さ”

●東京ドームの広大な面積と観客動員数を体感できる

オーディオについても映画館についても全く知識のない素人のため、正直なところ「音質」についてはよくわからない。でも、そんな素人の私でも確かに感じたことがあった。それは「距離」である。客席に自分がいて、ステージには嵐が居る。
東京ドームを包み込むように沸きあがるオタクの歓声は、耳元に。
ステージの頂上で歌う彼らの声は、まるで遠くから響いてくるように。
歌声、オーケストラ、歓声といったすべての音と今此処に座っている自分自身の「距離感」を体感できる時間だった。距離を感じられるということは、同じ空間に存在している気分になれるということ。人間の身体は音からも空間を認識しているんだなぁ…と身をもって知った。座席数327席のシアターで5万5千人が沸く東京ドームを体感できる。初めての体験だった。

 

●圧倒的な「闇」の没入感で楽しむことができる

本編上映前に流れるご案内(?)で知ったが、「黒」の再現性が高いということもドルビーシネマの売りらしい。従来の映画では表現できなかった深い黒色を実現させるために、最新鋭機材の導入は勿論のこと客席、カーペット、手すりなど劇場内の設備を全てマットな黒で統一。画面への反射光を極限まで抑える対策が取られている。従来の黒とドルビービジョンによる黒を比較する映像が流れるのだが、違いは一目瞭然。「黒」の質で、映像はここまで変わるのか!と衝撃を受けた。
繊細に作られたステージ衣装が魅せる大胆な色使い。オープニングの真っ赤なスワロフスキーが放つ輝き。流れる汗は光を浴びて輝くということ。最初から最後まで、圧倒的な闇の中に浮かび上がる色彩に目を奪われた。「如何にして画面から没入感を得られるか?」このご時世に突入してからさまざまな映像配信コンテンツを見て一番の課題だと個人的に感じていたことが、ここに一つの解決を見た気がした。

※これは完全に余談だが、私の応援している菊池風磨くんは配信ライブでの演出について「画面が真っ暗になる瞬間があると、モニターに自分の顔が反射してしまう。そこで観客は醒めてしまうのではないか」という考えを持っていた。経緯も環境も規模も全く違うが、ドルビーシネマが黒の表現に最も力を入れているという解説を聞き、「ふうまくんの言っていたことはこれか~!」と妙に納得した。黒は大切。

また補足までに、T・ジョイ横浜シアター4最前列ドセンの感想も残しておく。
まず首は完全に死んだ。デスクワークの会社員にとってはなかなか珍しい角度で2時間半耐えることになる。単純につらい。しかし、そんな首の痛みを余裕で上回るくらい臨場感は最高だった。アリーナ席から見上げている感覚。観に行きたいけどもう最前列しか空いてないよ…という方がもしいたら、思っているより悪くないよと伝えたいです。ただ首は本当に数日終わる(おそらく人によります)

 

嵐が嵐のエンタメをやるということ

「今から嵐のエンタメやるぞ!」という潤くんの挨拶が、あの時間の全てだった。
舞台とかコンサートとかアイドルとか、そういった既存の枠組みを超えた概念としてのエンターテイメントに触れられる瞬間。私にとっての嵐は、ずっとそういう存在だった。さっきまでその手に持つ楽器で壮大な音楽を奏でていたオーケストラの方たちが、そのまま仕事道具である弓とかスティックとか拳を空に突き上げて次の歌に合わせて盛り上がる、ジャンルの垣根を超えた最高の音楽。いろんなものを観て、経験して、どれだけ想い出が増えたとしても。私が最初に好きになったのはこの場所だ。それだけは絶対に変わらない。

私が私になった理由を思い出すような、原点回帰の2時間半だった。


なかでも印象的だったのがラストに流れるスタッフクレジット。
撮影カメラ114台、担当したカメラのナンバーとカメラマンの名前を一人残らず全て表記していた。ここまで丁寧で愛があるクレジットを初めて見た。同時にこれだけ多くの人間が動くステージを創り続ける、そして中心に立ち続けるということがいかに精神力を消費することなのか、少し考えただけでもぞっとするほど恐ろしかった。

エンドロールに一瞬だけ映るその名前を持つ方々が、どれほどの時間を此処に捧げたのか。

あまりにも大きくなり過ぎたものをどうやって愛し続けるのか。
どうすれば愛される形を保ったままで、時を重ねることができるのか。

嵐が嵐を護るための試行錯誤の過程が今なのかもしれない、ぼんやりとそんなことを感じた。

普通にやっていたら変わってしまう。人は歳をとるし、建物は老朽化するし、花は枯れる。だから、時にエンタメは変わらないために意識的に状況を変化させる必要があるのだと思う。「続けるために形を変える」コロナ禍でよく聞くようになったこの言葉に、嵐は少しだけ早く気づいていたのかもしれない。

私は嵐のファンだったことがきっかけで今の職業に就くことになった。私が今応援している菊池風磨くんも、嵐の大ファンだったことがアイドルを志したきっかけらしい。
一瞬で人生が180度変わるような劇的なストーリーはまれかもしれないが、この公演に入っていたことが、あのドラマを見たことが、ほんの少し、5度くらいだけ生きる方向性を変えてしまうこと。そのたった5度の方向転換が何度も何度も重なって、いつの間にか人生を大きく変えてしまうこと。身に覚えがある人も多いんじゃないかと思う。
夢中になっているお客さんの表情や手作りの団扇がアップになるたび、そんなことを考えた。*1

楽しそうな声も、穏やかな笑顔も、好きなことを好きなようにやっている姿もその全てが本当に嬉しい。心から良かったねと思う。でも、もしも叶うのなら、またいつか必死な顔が見てみたい。いつでも綺麗なアイドルの、綺麗だけじゃない横顔。揺れる声とか流れる汗とか、きっと、どんなアイドルにも現場でしか会えない表情がある。

これが最後なのかそうではないのかなんて私にはわからないけど、少なくとも東京ドームに立っていたあの瞬間が、5万5千人の歓声が、彼らにとっていつまでも夢と楽しい時間の象徴でありますように。本当に微かでささやかな光で構わないから、このステージが人生の希望になっていますように。

この世界の何処かに、こんなに美しい時間があるのなら明日もたぶん生きていける。

性別も年齢も収入も住んでいる世界もなにもかも違うけれど、ステージへのその微かな希望だけは、ファンとアイドルが共有できる数少ない感情なのかもしれない。晴れ晴れとした表情でドームの頂点に立つ5人の姿を眺めながら、そんなことを思った。

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*1:あと単純にお客さんをがっつりアップで抜いた画が多くて驚いた。職場とか学校で大丈夫ですか…?