映画『夜明けのすべて』感想

 一人で来ていた中年の男性はイビキをかいて爆睡していた。本編上映の直前までスマホを触っていた高校生くらいの女の子2人組はエンドロールの途中で「よくわからなかったね〜」と言いながら席を立った。頼むから勘弁してくれ!静かに観させてくれ!と内心思っていたが、でもこの人たちにはきっと本当に"よくわからない"のだろうということもなんとなく理解できた。この映画ほど「わからない人にはきっと本当にわからないんだろう」と感じる作品もなかなか無いだろう。わからないということ、それは(ある意味で)幸福な人間であることを意味している。

 PMSパニック障害、身近な人との死別。自分の意志ではどうにもならない辛さを抱えたままで生きている人たちの日常が最初から最後まで淡々と描かれていく。劇的な事件は起こらない。ある日突然悩みが解決することも勿論ない。ただただ日が沈み夜がやって来てまた次の朝を連れてくる日々。資格試験や大学受験とは違う、努力という剣では倒せない敵が確かにこの世界には存在していて。『夜明けのすべて』は、そういう自分ではコントロールできない"なにか"と対峙している人たちにスポットライトを当てた作品だ。私は悲しいことにこの作品に共感できる側の人間だったので、正直辛すぎて耐えられず目を瞑ってしまうような場面もあった。

 「男女の友情が成立するかなんて人によるし僕は興味がないけど、少なくともどんな関係性であろうとも、人は人を助けられる。できることがある。」「自分の症状はどうにもならなくても、相手の症状に対処してあげることならできるかもしれない」ままならないことが多すぎる世界で、思うように動かない身体で、それでもお互いに手を差し伸べることならできるというささやかな気付きがひとつの光になっていく過程が丁寧に描かれていた。『人は人を助けられる』『相手の生きづらさを想像して寄り添うことは誰にでもできる』ということを、知っているはずなのにいつの間にか忘れていたことを、さまざまな形で思い出させてくれる時間だった。物語の舞台をプラネタリウム製作会社にしたことで、永遠に輝き続ける果てない天体と生まれては消えていく人間の対比も際立っていたと思う。

 この映画で描かれているような生きづらさを知らないままで生きていられる人生はきっと穏やかで幸せなんだろう。それでも、その幸福が、知らず知らずのうちに自分の周りにいる誰かを傷つけているかもしれないとしたら。私はできるかぎり他人の痛みに寄り添える人間になりたい。身近な人たちの生きづらさに共感できる自分でありたい。そんな綺麗ごとを、なんだか真剣に誓いたくなった。

 入場時、『よくわかる!PMS』というリーフレットが配られたことが印象に残っている。帰宅してからぱらりと読んでみたところ、PMSに関する説明がきちんと丁寧にまとめられていた。あのとき「わからないね」と言って席を立った人たちにこそ、どうか少しでも此処に書かれている情報が届いていてほしい。人は人を助けることができる、そんな手の届かない星のような希望が、確かにそこに込められているような気がした。

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