映画『メタモルフォーゼの縁側』感想

隕石は落ちない、ベッドシーンもない、誰も死なない物語。ふいに降り注いだひとしずくの「好き」が日々に波紋を描き、やがて毎日を鮮やかに染めていく。特に何も起こらない日常の延長線上みたいなストーリーがどうしてこんなに沁みるのだろう。それは多分、どこかに"覚え"があるからだ。私は確かにこの感情を知っている。

「好き」の深度が深くなるほど、光の届かない深海に潜っているようで。

浅瀬で太陽光を浴びながらちゃぷちゃぷ「好き」を遊んでいる人たちが、眩しくて羨ましくて妬ましい。

この時間は人生の役には立たない、そんなこともうとっくに気づいている。

でも、それでも、私を奮い立たせてくれる原動力はこの「好き」だけなのだということ。主人公うららの心情は全てのオタクが一度は味わったことのある感情ではないだろうか。

本屋でアルバイトをする女子高生うららと、書道教室の先生である75歳の雪さん。BL漫画という共通の趣味で繋がったふたりは、雪さん宅の吹き抜ける風が心地よい縁側でお茶を飲みながら新作の感想を語り合う。かけがえのないその時間が、ふたりの人生に新たな彩りをもたらしていく。

個人的にいちばん心に残ったのは、雪さんが娘との同居を決意し、住み慣れた自宅を離れるシーン。推しキャラとおそろいの洋服を身にまとう75歳の雪さんの「一緒に旅をするの」という心から嬉しそうな笑顔。年齢を重ねるということ、時が過ぎるということを確かに描写していながらもそれは決して悲しいだけではないというメッセージのようだった。いつか腰が曲がって体力も無くなって自由に走り回れない日がやってきても、それでも「好き」はきっと変わらず幸せをくれるもの。なんて優しい物語なんだろう。高齢で足腰が痛そうな雪さんがそれでもずっと幸せそうだったこと、うららの若さを愛おしむ描写こそあれど決してそれを羨んだり妬んだりせず、登場人物中の誰よりもハッピーに生きていたこと。なんだかとても救いだった。

うららと紡くん、えりちゃんの高校生らしい青い関係性も印象的だった。BL漫画という趣味を糧に生きるうらら、留学という夢を持ち自己実現を目指すえりちゃん、いつだって周りのひとを大切にしている紡くん。三者三様の生き方がどれも悪者や当て馬ではなく、それぞれの青春がきちんと大切にされていた。クラスで目立ついわゆる陽キャのえりちゃんが妬ましく思っていたうららが、「友達じゃないけど応援してる」に至るまでの心理描写。芦田愛菜ちゃんの表情演技が本当に繊細で、自分自身を見つめることでえりちゃんを許容できるようになっていく過程を見事に演じていた。

そして、目立つ特技や趣味があるわけではないけど周囲の人たちにずっと優しい、いつだって人を大切にすることを人生の真ん中に置いていそうな幼なじみの紡くん。恭平くんのふんわりして穏やかな雰囲気に合っていて本当に良かった!「イケメン陽キャの幼なじみ」という平坦なキャラ設定だけで終わらない愛らしさ。目標達成を目指すでも趣味に生きるでもなく「普通」に暮らしている紡くんの存在は、この物語にぐっと奥行きを生んでいたと思う。何よりあまりにも作画が少女漫画で驚愕した。顔が良いとか小さいとかカテゴリに対する賛美もそうなんだけど、なんというかもう作画そのものが少女漫画だった。凄い。

うららはきっとこれからもBL漫画を部屋の奥の段ボールに仕舞い続けるし、紡くんにだってその存在は隠し続けるのかもしれない。でも、自分が段ボールを抱えて生きていることを後ろめたく思うことはもう無いんじゃないかなあ。

自分の趣味を段ボールに閉じ込める。それは呪いではなく、光が届かない深海を泳ぐ密やかな愉しみ。此処にしかない楽園を、私は知っている。

「オタク」と「年齢」「時間の経過」という喪失の文脈で語られがちな概念を「好きなものを好きだと思い続けた先にある未来はきっと明るいよ」と晴れやかな世界観で塗り替えてくれる、そんな映画だった。ジャンルを問わず、心に秘めた趣味を持ったことがある全ての人に見て欲しい作品だと思う。優しい時間をありがとうございました。