暮らしとアイドル、この3年間のこと

 明日から新型コロナウイルスの感染法上の分類が、「5類」に引き下げられるそうです(インフルエンザ等と同じ分類にあたるらしい)。この3年間ってなんだったんだろう?という未だに答えを持たない感情をせめてそのまま文字に残しておこうと思い、これを書きました。ただただ思い浮かんだことを特に推敲せずそのまま吐き出しています。読みづらかったらすみません。ブログという場所を持っておいてよかったね私。

 

・私の仕事は誰の命も救えない

 比較的早い段階から在宅勤務を選択することが出来たので、おそらく感染症に対応する労働環境的には恵まれていた方だと思う。本当に感謝しかない。ただ、労働時間はとんでもないことになり、働いている業界全体が見事に打撃を受け(勿論ほぼ全ての職業でなんらかの影響はあったと思うが)、最初の緊急事態宣言あたりは精神的にかなり辛かった。仮に同じ業務量でも、「何かを作り上げるための労力」と「すべてを無にするための労力」はまるで質が違う。連日続いたキャンセル調整、自分たちで作り上げたものを自らの手で更地に戻すことを繰り返す日々。何度も心が折れそうになった。そして何より大勢の方々が人命やライフラインや生活に必要な物品を供給するために必死で働いてくださっているなかで、「私の仕事は誰の命も暮らしも救えない」ということに対して、無力感がなかなか拭えなかった。

 

・お葬式ができなかったこと

 コロナで入院したことも、亡くなったことも、お葬式は断られたということも父からのLINEで知った。私の手元には文字情報しか残らなかった。面会も火葬の立ち会いも葬儀も許されなかったので、あまりにも実感がなくて、亡くなったというよりもふいに消えてしまったような感覚が未だに抜けないよ。本来ならとても大変で重労働でたくさん作業が発生するはずの親族の死なのに、あまりにもあっけなくて、悲しいくらいスムーズで、父が「特にすることがない…」と困惑していたことを覚えている。この徹底した感染対策の結果が、もうすぐやってくる明日なんだと思うしかない。

 

・アイドルにとても救われた

 エンタメに泣かされて、エンタメに救われた3年間だった。結局。

 

・私の仕事は誰の命も救えない、けれど

 つい最近観た過去のROTで西畑さんが「アイドルは必要な職業ですか?」という問いに対して、「誰にとっても必要なものでないけど、必要とする人がいてくれるのなら頑張りたい」をいう主旨のことを言っていた。もちろん仕事の規模も責任の重さも何もかも比較にならないくらい違うけど、私にとっては西畑さんのこの言葉が3年間の答えでした。ありがとう。

 

この3年間のこと、良い思い出でも辛い記憶でもなく、できるだけフラットに、今手元にあるこの感情のままで、せめて忘れないでいたいなあ。そして明日を迎える瞬間はできるだけ楽しい気持ちでいたい。YouTubeでも観ようかな。

どうか、できるだけ穏やかで優しい明日がやってきますように。おやすみなさい。

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